《黄州寒食帖》蘇軾
2017/11/08
この記事は友人のFDG氏の寄稿です。
蘇軾《寒食帖》の価値
《寒食帖》は蘇軾(そしょく)が一度目の流罪地、黄州で書いたものである(*1)。
「自我来黄州,已過三**寒食」とあるので、1083年の作で蘇軾47歳の時だ(*2)。
内容としては、蘇軾の詩が二つと黄庭堅(こうていけん)の跋(ばつ。コメント)が書かれてある(*3)。
蘇軾の行書として最高傑作だと言われ、「中国三大行書」の3番目に数えられている。
その上黄庭堅の跋もある。
黄庭堅は蘇軾の弟子であり友人で、当時既に書の大家だった。
この二人の書が記されているから、《寒食帖》は歴史上とても価値がある。
というのも、世界の文字で、字そのものが芸術になるのは漢字しかない。
だから、それ自体をまず見るといいと思う。内容は後でいい。
一番重要なことは、この書は下書きであること。
下準備して書いたものではない。だから書き損じがいくつかある。
「病」の追記、「子」や「雨」の修正点。
これは「一回書いてしまったけど、なかったことにして次の文字を読んで」ということ。
実はこれが衝撃だった。蘇軾が間違えてるやん!ととても意外だった。
書は、今までは神経質に書くんだと思ってたけど、書き損じてもいいんだなと知って親しめるようになった気がする。
(「病」を書き忘れていたため、横に小さく書き足している)
(子、雨の右横に点を打っている)
あえて書法のルールを破る書き方をする
即興は、書く人の感情が一番よく現われる。
寒食帖にある字は、大きさや形がまちまち。
大きい字、特に目立つ字には特に感情が込められていることは、分かりやすいと思う。
「年」、「紙」などは鋭く刺さるようだし、「破」は字そのものが破れているように見えないか?
もう一度全体を見てほしい。全体的に最初の方が字が小さくて後ろの方が大きい。
書いてるうちにテンションが上がってきたと思われる。
(「破」は右上。左から二字目は「帋」で、「紙」の異体字)
字の書き方でいうと、鋭く刺さるような書き方は避けるべきとされている。
それが書法の基本なのだが、そのルールをあえて破っている。
また、他の書家は肘をあげて書いてたようだが、蘇軾は字を書く時に肘を机に置いて書いてたらしい。
人生が既に辛いんだから字書くときくらいは楽に、ということだろう。
間違えても、書き直したりせず、点で誤りを示し、追加で書くだけ。
蘇軾の気ままな性格がうかがえる。
読み下し文から文章を味わう
(第一首)
自我来黄州 我が黄州に来てより 已過三寒食 已に三たび寒食を過せり(*4)。 年年欲惜春 年々春を惜しもうと欲すれども、 春去不容惜 春は去って惜しむをゆるさず。 今年又苦雨 今年も又、苦(はなはだ)しく雨ふる。 兩月秋蕭瑟 両月、秋蕭瑟(しゅうしつ)たり。 臥聞海棠花 臥して聞く、海棠の花の、 泥汚燕支雪 泥が燕脂(えんじ)の雪を汚(けが)すを。 闇中偸負去 闇中、偸(ひそか)に負ひ去る、 夜半真有力 夜半、真に力有り。 何殊病少年 何ぞ殊(こと)ならんや、病める少年の、 病起鬚已白 病より起きれば鬚(びん)は已に白きに。
文の内容は、1000年前の物にしては簡単。
その花が散り始めたことを、音を聞いて知り、蘇軾は自分の人生を散る花に重ねた。
ここでは、散る花を雪に喩える詩の手法が用いられている。
海棠の花は雪のような白というわけではなく、花びらを「エンジ色の雪」と書くという詩的表現である。
「臥聞海棠花 泥汚燕支雪」の「花泥」の二文字の書き方を見ていただきたい。
「花」と「泥」は細い線で絡み合っている。
泥で燕脂のように雪のような花が汚されるというのを書いている。
蘇軾は22歳で朝廷に名を馳せ、皇帝もその才能を認めた大天才。
花のように大事にされ、讃えられて来た。
それが今や朝廷から追放、黄州に左遷されて人生のどん底にまで落ちた。
麗しい花が、泥に落ちたのである。
(海棠(カイドウ)。美しい臙脂(燕支)色である)
小さく「病」を書き添えている形で書き直してる。
ここでは時間が盗まれていくのを言っている。
青年が病気で寝ており、やっと治って起き上がったら
鬚(びん)が白くなったおじいさんになっていたようだと言ってる。
(鬚は「ほおひげ」で、もみあげの下の毛)
(第二首)
春江欲入戸 春江、戸に入らんと欲し 雨勢来不已 雨勢、来たりて已(や)まず(*5)。 小屋如漁舟 小屋は漁舟の如く 濛濛水雲裏 濛濛たり、水雲の裏(うち)。 空庖煮寒菜 空庖に寒菜を煮、 破竈燒濕葦 破竈に濕葦を燒く。 那知是寒食 那(なん)ぞ知らん 是れ寒食なるを 但見烏銜紙 但だ見る烏の紙を銜(ついば)むを。 君門深九重 君門、深きこと九重 墳墓在萬里 墳墓、萬里に在り。 也擬哭途窮 也(ま)た途の窮するに哭せんと擬す。 死灰吹不起 死灰は吹けども起きず。
*6:阮籍(げんせき。210年- 263年)三国時代の思想家。政界から身を退き、老荘思想を仲間内で語り合うという竹林の七賢の一人。気に入らない人物には白眼で対応したというエピソードが、「白眼視」の語源となった。
元来酒浸りで、馬を駆ってあてどなく進むのが好きで、行き止まりにつくと慟哭したという。
*7:「九重」は、門が何重にも囲っている場所、つまり朝廷を指す。北宋の朝廷は北京ではなく開封にあった。
*8:左遷されて意気消沈している自分を死んだ灰に重ねることで、火を使わない「寒食」の日のイメージとリンクしている。
えもん : 大学では文学部に行きたかった都内IT企業のエンジニアです。
Twitter: @koneko_mc